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『俺ガイル完』2話 感想・考察 理由がなければ、行動できない

 この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第2話

「今日まで、その鍵には一度も触れたことがない。」

の感想・考察記事です。

 

 

 

 

 

理由がなくては、行動できない

動く「理由」と「問題」を探して

八幡は何かを実行する際、ひどく行動原理を守る傾向にある。もっと簡潔に言うならば、もっともらしい「理由」を見つけられなければ動けないということだ。

 

その傾向が見られる代表的なものをいくつか羅列する。

  • 文化祭実行委員:雪ノ下の負担を、ひいては雪ノ下の孤独な頑張りを否定されないため、自ら悪役になる
  • 文化祭:相模を連れ戻し文化祭を無事終了させるため、相模を罵り葉山になだめてもらう
  • 修学旅行:葉山グループの関係性を維持するため、告白に割って入り有耶無耶にする
  • 生徒会選挙:小町の願う雪ノ下と由比ヶ浜の奉仕部残留を叶えるため、一色を生徒会長に当選させる

 

これら以外にも細かいエピソードにこの傾向は表れるが、最も顕著であるのはやはり生徒会選挙編だろう。実際、彼のモノローグで何度も伝えられている。

以下は八幡が小町に理由をもらう前のシーンでの一節。

 

つまるところ、それは前提条件となる「理由」がないからだ。

動くだけの、行動を起こすだけの理由が。その問題を問題として捉える理由が。

起因となる理由がないから、問題が成立しない。

一色の件についてもすでに雪ノ下と由比ヶ浜が立候補することでほぼ決まってしまった。あちらのほうが確実性が高い上策だといえる。

なら、俺の出番はない。

だから、一色がらみで彼女たちと対立する理由はもうないのだ。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』(ガガガ文庫、2013年)240頁より。

 

他にも生徒会選挙編では再三にわたって「理由」「問題」という言葉が登場する。そもそも問題に対して(脳内)理論的に自己完結出来ているのに繰り返し問題提起をしているのは間違いなく感情に拠るものなのだが、彼は曖昧な感情を起因として行動することが苦手なのだ。

一応その後平塚先生からの助言により「本物が欲しい」という感情のまま行動を起こすことが出来、一見その悪癖は治ったように思えるが、実は現在においてもその行動原理は存在したままだと感じられるシーンが本話に存在した。

一色がプロム計画を奉仕部に持ち込み、雪ノ下が計画の手伝いを承諾した際、八幡は以下のように発言する。

 

「まあ、上の判断でそう決まったならしょうがねえな。仕事するか……。

「……うん、だね」

俺の愚痴めいた独り言に、由比ヶ浜が苦笑交じりに頷きを返してくれた。

ともあれ、奉仕部としての方針はこれで決まった。タスクが発生したならそれを片付けるだけのこと。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)206,207頁より。

 

雪ノ下を上司と見立て、その上司の承諾を部下の総意とするというのは真っ当な「理由」になりうる。

しかしこれは雪ノ下を手伝いたい、奉仕部で活動したいという「感情」をすり替えたものと考えるのが適切だろう。実際、雪ノ下から協力を断られた際に八幡は(雪ノ下が自立しようとしていることに対する)安堵と同時に寂寥を覚えている。

 

 

 

「お兄ちゃん」としての比企谷八幡

先程の話に加えてもう一つ重要なことは、八幡が常に「お兄ちゃん」であるということだ。これはAパートで陽乃から「君はいつも『お兄ちゃん』してるけど」という言により指摘されている。

 

八幡はぼっちという人生経験上、無条件に頼れる人といえば家族、もっと言うと妹しかいないのだ。

これもまた先述の生徒会選挙のシーンからの一節。

ぼっちは人に迷惑をかけないように生きるのが信条だ。誰かの重荷にならないことが矜持だ。故に、自分自身でたいていのことはなんとかできるのが俺の誇りだ。

だから、誰も頼りにしないし、誰にも頼られない。

ただひとつ例外があるとすれば家族くらいのものか。

家族にだけはどれだけ迷惑をかけてもいい。俺はどれだけ迷惑をかけられても構わない。

家族相手であれば、優しさや信頼、可能不可能をさしおいて、何はなくとも手を差し伸べるし、遠慮なく寄りかかる。

親父がちょっとしたなかなかの超ダメ人間でも、母親が結構賑やかで時折だいぶ小うるさくとも、俺がどれだけごく潰しであろうと、妹が可愛くて腹黒いのに底が浅くとも。

その関係は理由を必要としない。

むしろ「家族だから」をすべての理由にすらできる。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑧』(ガガガ文庫、2013年)241,242頁より。

 

八幡が唯一距離感を測らずに踏み込める関係性、それが家族であるわけで裏を返せば家族という関係性以外に親しみ歩み寄る方法がわからないとも取れる(少し極論だが)。

八幡にとって「本物」の一つの答えは間違いなく家族のような関係性なのだろう。言葉で伝えなくとも互いを理解し合い、自己満足も、傲慢も許容できる関係性。正確にはどうか分からないが、少なくとも八幡が求めた条件には合致している気がする。

だから八幡が距離感を詰めようとするとき、家族、ひいては「お兄ちゃん」という役割を無意識的に投影しているのではないだろうか。

さらにこの推察を決定づける一文がある。

けれど、きっと、自立とはこういう類いのものなのだ。小町の穏やかな兄離れのように、ちょっと寂しくて、誇らしい。だから、これは祝福すべきことだ。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)211頁より。

雪ノ下が一人で行動することを、小町の兄離れに例えている。もちろん八幡が言いたいことも全く分かるのだが、やはりそこに「お兄ちゃん」としてのバイアスがかかっているということは否めない。(ただ事実、雪ノ下もまた共犯的ではあるのだが。)

 

しかし雪ノ下が協力を断り自立を宣言した以上、八幡はもはや「理由」もなければ「お兄ちゃん」でもなくなる。いよいよ、八幡には動くための理論を構築できない。

 

仕事として請け負わない以上、明日からは俺がここへ来ることもなくなる。そう思うと、いささか名残惜しい。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)211頁より。

 

果たしてこの名残惜しさがどこから生まれたものなのか。平塚先生風に言うと、それこそが「考えるべきポイント」というやつなのだろう。

 

 

 

動けないのは彼女も同じ

さて、ここまでは八幡に関しての問題点を挙げてきたが、動けないのは彼女、雪ノ下雪乃も同じである。

これまで雪ノ下は陽乃の影を追ってきたことは明らかであるが、だいたい生徒会選挙付近からその傾向が見られなくなってきたことは作中でも示されている。

それに対する陽乃と葉山の評価は以下である。

「そう、あれは信頼とかじゃないの。……もっとひどい何か」

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑩』(ガガガ文庫、2014年)341頁より。

 

「やっぱり、彼女は少し変わったな……。もう陽乃さんの影は追ってないように見える」

雪ノ下の姿を追う葉山の視線は、そっと細められていて鋭い。後に続いた言葉は暗かった。

「……けど、それだけのことでしかない」

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑩』(ガガガ文庫、2014年)333頁より。

八幡は陽乃の影を追うことを「主体性のなさ」と解釈していたが、2人の言葉を聞いて困惑するのだ。

 

更にこの言葉の意味が確信的になるのが、3人が由比ヶ浜家に行った夜での出来事だろう。雪ノ下が陽乃に電話する際、八幡の用いた表現をそのまま使ったのだ(アニメ2期12話、原作11巻)。これには由比ヶ浜と八幡も目を見合わせた。

 

つまり雪ノ下の影を追う相手、依存先が変わっただけ。葉山が「それだけのことでしかない」と評するのも頷ける。

 

今回の雪ノ下の自立宣言はそれを解決する(正確には「主体性のなさを改善する」)

ためのものなのであるが、雪ノ下には未だ八幡に対しての依存が散見される。

例えばアニメ第1話Aパート、由比ヶ浜が「ゆきのんの答えは、それ、なのかな……」という問いかけをした際には「それでも、自分でうまくできることを証明したい」と意見を通す雪ノ下だったが、八幡の「それが答えでいいんだよな」という問いかけには「まちがいではないと思うのだけれど……」と少し不安げな回答をするのである。加えて原作では”言い終えて、雪ノ下はちらりと俺を伺うような視線を送ってきた”というダメ押しまで入っている。

 

加えてアニメ第2話Bパート、一色のプロム計画を一人で受けたいと言う雪ノ下は、八幡に対して「私、まちえているかしら……」とまた不安げな表情で同意を求めようとするのである。

(そして興味深いのが、八幡はどちらの回答に対しても「いいんじゃねえの」と少し曖昧に濁した返事をしている)

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雪ノ下もまた、八幡に対する依存が抜けきっていないのである。

そして雪ノ下が八幡に何か求めようとするたびに八幡の「お兄ちゃん」が発動し、互いにその傾向がひどくなっていくという、なんとも厄介な関係性である。

(家族構成で八幡が「兄」であり雪ノ下が「妹」であるというのも、少し因縁のようなものを感じる)

 

 

 

由比ヶ浜や八幡が「それが答えなのか」と問うたように、或いは雪ノ下が「何がしたいかわからない」と言ったように、雪ノ下にはさらなる自覚が必要なのだろう。しかし今は、ひとつひとつを丁寧にやるという選択をした。たとえまちがっていたとしても、その決断は尊重されるべきものであると、私は思う。

 

 

 

余談1;由比ヶ浜結衣の「ずるさ」

 

常に八幡の一人称で語られ続けてきた『俺ガイル』の中、おそらく今回が初めてであろう由比ヶ浜結衣の独白。アニメ『俺ガイル』では放送尺の関係上カットされるシーンが多数あるが、特に由比ヶ浜の「ずるさ」に関しては(主に私が大好きという理由で)とても惜しいものがある。考察というより解説になってしまうが、是が非でも伝えさせていただきたい。

 

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その写真を見ることを、由比ヶ浜結衣は決意する。

 

 

 

あたしが聞いてしまったら、尋ねてしまったら、彼女は絶対に違うって否定して、そんなことはありえないって拒絶して、そしてそのままそれっきり。

 

(中略)

 

彼女の気持ちを聞くのはずるいことだ。

自分の気持ちを言うのはずるいことだ。

でも、彼の気持ちを聞くのは怖いから。

彼女のせいにしているのが一番ずるい。

 渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)98,99頁より。

 

これほど素敵な「ずるさ」があるだろうか。

 

由比ヶ浜結衣は全部欲しい。あの関係もこの関係も、全部貰う。一度はそれで雪ノ下を言いくるめてしまおうとしたくらい、卑怯な女の子。

ただ同時に雪ノ下を、八幡を想う気持ちもあって。雪ノ下の思いを尊重し、八幡の「本物」を笑顔で見届けようとしている。

 

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一番大切な存在たちへの想いに、一番大事な自分の気持ちを混ぜ込んだこの笑顔は、痛々しすぎて、美しくて。

 

心から報われてほしいと、そう思う。

 

 

 

余談2;「鍵」について

サブタイトルにも出てきた「鍵」についても考察しようと思いましたが、生憎私では本当に何も分からなかったので、更新できたらします(これはしないパターン)。

以下備忘録的に「鍵」について書き留めます。

 

一応作者さんがこのような発言をしていますが、その「変化」にどこまでの解釈を乗せれば良いか全くつかめなくて。

原作のサブタイ範囲は由比ヶ浜の回想ではなく3人が部室を出るシーンで終わるのですが、そこで八幡が

大事なものをそこへしまうように、かちゃりと鍵がかけられた。

その鍵は彼女だけが持っていて、俺は触れたことがない。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)211頁より。

 って言うんですが、そうなると「変化」って感じでもないなあ……という。ただこっちはこっちで何を意味するのかちょっと微妙。

私は「これからもずっと奉仕部をやっていたいけど、その決定権は雪ノ下だけが持つもので、俺にはどうしようもない」みたいなことなのかなと暫定的な解釈をしたものの、いまいちピンときてないなあという感覚です。あとはアニメでは由比ヶ浜結衣の独白で終わったのも、由比ヶ浜自体も「鍵(=奉仕部)」について思うところがあったという風に見せたいのかな、と思いました。

 

色んな意見がほしいので、ぜひコメントでいろんな解釈教えて下さい。

 

www.zaikakotoo.com

また「野の百合、空の鳥」さんがその疑問について言及されていました。普通にファンとして嬉しい。ただ断りもなく紹介しているので怒られても仕方ありません。そのときは地べたに這いつくばって平謝りします。

 

 

 

あといくつか記事に記載すべきか悩んでる考察があるので、こちらもまた更新するかもしれません(これはしないry)。

また3話の記事を書くと思うので、そのときについでに見に来てくれればとても嬉しいです。