『俺ガイル完』11話 感想・考察 -Yui side-「だから、比企谷八幡はまちがっている。」
この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話
「想いは、触れた熱だけが確かに伝えている」
の感想・考察記事です。<Yui side>
はじめに
ついに彼ら彼女らの青春は一つの区切りを終えた。
彼女は彼と結ばれる結末を迎えたものの、彼女はついに結ばれなかった。
この記事では、-Yui side- と称して由比ヶ浜結衣について考察していく。
(-Yukino side-に関しては準備中です)
「待つ」ということ
「待つ」の定義
「……なんか、待ってみたかったから」
(中略)
本当のところはわからない。
けれど、思えば。
彼女はいつも待っていてくれたのだ。
俺を、或いは俺たちを。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)320,321頁より。
「待つ」という言葉は由比ヶ浜結衣がよく使う表現だ。
奉仕部員において在り方が違う、或いは八幡と雪ノ下らの一歩先を行く正しい女の子は、「待つ」ことによって彼ら彼女らを迎い入れようとする。
この意味での「待つ」という言葉の初出は、6巻(1期11話)、文化祭にて雪ノ下の秘密(事故の件を黙っていた)について話すシーンだ。
「あたしね、ゆきのんのことは待つことにしたの。ゆきのんは、たぶん話そう、近づこうってしようとしてるから。……だから待つの」
(中略)
「でも、待っててもどうしようもない人は待たない」
「ん?まあ待っててもどうしようもない奴待っても仕方ないわな」
(中略)
「違うよ。待たないで、……こっちから行くの」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑥』(ガガガ文庫、2012年)254,255頁より。
これの他に12巻(3期1話)、雪ノ下が自分のお願いを語ろうとするときにも由比ヶ浜は「話そうとしてくれていたから、待ったほうがいいと思っていた」という言葉をこぼしている。
以上のことから、「待つ」の範囲は、「話そう、近づこうとする人」にのみ限定される。これはつまり、「関係性を進めたい人」だと言い換えられるだろう。
対して「待たない」の範囲は、そのまま「話そう、近づこうとしない人」、言い換えて「関係性を進めようとしない人」となる。
由比ヶ浜は待っていた/待つしかなかった
八幡の言う通り、由比ヶ浜結衣は「待って」いるところもある。
しかし先程引用した「待たないでこっちから行くの」の一節は、原作やアニメを見てもわかるように明らかに八幡に向けられたもので、となると由比ヶ浜は八幡を「待っていなかった」と言えてしまうのではないだろうか。
しかしそれはあくまで文化祭時点の話である。
それ以後に八幡が「話そう、近づこう」とした決定的なシーンがある。
それが生徒会選挙での「本物がほしい」だ。
これまでのただの同じ部員としての態度ではなく、一歩踏み出して、さらに純度の高い関係性に進もうとした彼の言葉は、由比ヶ浜の「待つ」の範囲に入ったに違いない。
(本当はここで180度「待たない」→「待つ」に変えたと言うよりはもっとシームレスなのだろうが、『俺ガイル』が大きな区切りで生徒会選挙以前/以後に分けられるのでここを区切りとした)
由比ヶ浜が「待って」いた例で言えば、雪ノ下の事故の件を聞かないでおいた、プロムを手伝いに呼ばれるまで待機した、八幡に「私のお願い叶えるまでに考えといて」と言ったことなど、いくつかあることにはあるのだが、最大の「待つ」という行為はそれらではない。
彼女が最も「待った」のは、「自分のお願いを強引に叶えようとしなかったこと」だ。
水族館デートの際に雪ノ下を自分のお願いに誘導したように、由比ヶ浜はその気になれば強引にそちらの未来を選択できる。あの時のように八幡の制止を振り切れるかどうかは悩ましいところではあるが、少なくとも彼女はそのために持ちうる全ての選択肢(ともすれば誰かを歪めるという選択)を実行したわけではない。
雪ノ下の「父の仕事を手伝いたい」という願いに疑問を抱きつつも見過ごし、八幡の「ちゃんと終わらせる」という願いに自分を押し殺して応えようとした。
仮に二人に「八幡が好きだ」と伝えたら、「ゆきのんのお願いはそれでいいの?」と問うたら、それらが二人の考えを変えるものになるのかは分からないが、何かしら自分の願いに近しい方に引き寄せられたかもしれない。
それは彼女の落ち度だとも言えるが、しかし同時に彼女が「待たない」ことは残酷な行為になりうる。
あたしが聞いてしまったら、尋ねてしまったら、彼女は絶対に違うって否定して、そんなことはありえないって拒絶して、そしてそのままそれっきり。
認めないで、見逃して、見落として、見過ごして。
なかったことにして、忘れてしまって、失くしてしまう。
だから、あたしは絶対に聞かない。
彼女の気持ちを聞くのはずるいことだ。
自分の気持ちを言うのはずるいことだ。
でも、彼の気持ちを知るのが怖いから。
彼女のせいにしているのが一番ずるい。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)98,99頁より。
由比ヶ浜が自分の答えを口にすれば、何かを壊しうる可能性が常に残されている。その顕著な例が雪ノ下に問うた「ゆきのん、それでいい?」だろう。
何かを壊して、「諦めて」しまうことを彼女は嫌うのだろう。雪ノ下も八幡も同様に大切で、二人の願いも守りたい彼女は、その意味で「全部欲しい」と願ったのかもしれない。
しかしその優しさ故に、強欲さ故にがんじがらめになってしまった。
彼女が考えていることも思っていることもちゃんとわかっていて、でも、彼女みたいに諦めたり、譲ったり、拒否したりできなかった。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)359頁より。
だから由比ヶ浜結衣は「待つ」ことを選択したし、「待つ」選択しかできなかったのだ。
(付記:彼女は「待つ」ことを選択したと言ったが、しかし八幡に対しては「待たない」行動もしている。
家具屋に行ったときの「将来の夢はお嫁さん」発言や、八幡と一緒にプロムを手伝ったこと、ネットカフェで眠ったふりをして頭を八幡の肩に乗せたこと、小町を理由にしてお菓子作りしたこと、プロムでダンスに誘ったこと、その全てが言外に想いを伝えている。
おそらく雪ノ下はどうにかなるとして、八幡を繋ぎ止めたかった、こちらに振り向いてほしかったからなのだろう。その曖昧な態度が最大限の抵抗であったことは、ちゃんと覚えておく必要がある。)
「お前はそれを待たなくていい」は最低最悪にまちがっている
「いつかもっとうまくやれるようになる。こんな言葉や理屈をこねくり回さなくても、ちゃんと伝えられて、ちゃんと受け止められるように、たぶんそのうちなると思う」
まとまりきらない言葉を、ゆっくり慎重に口にする。いずれ、俺が少しはマシな大人の男になれば、こんなことだって躊躇わずに言えるようになるのかもしれない。もっと別の言葉を、違う気持ちをちゃんと伝えられるようになるのかもしれない。
「……けど、お前はそれを待たなくていい」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)340,341頁より。
比企谷八幡の宣言は、最低最悪にまちがっている。
曖昧な言葉に委ね、由比ヶ浜結衣の優しさに甘えて彼女を歪めた、おぞましい言葉だと思う。そして最も憎いのが悪意と自覚がないことだ。
閑話休題。
彼の宣言は私には少し煩雑に感じるので、少し空白を補って簡潔な一文にしてみる。
「(雪ノ下と八幡が)うまくやれるようになる=大人になる時間を、(由比ヶ浜は)待たなくていい」
この宣言が何を指すのか、読み解いていきたい。
前提:「世界でただ一人、この子にだけは嫌われたくない 」という甘え
「待たなくていい」の真意を探る前に、一つ前提として入れておく情報がある。
アニメではカットされたが、原作にはこのようなモノローグがある。
思い詰めたような眼差しを見て、中途半端な答えは許されていないのだと悟ってしまった。
適当なごまかしも、嘘もお為ごかしも、あってはならない。まぜっかえして煙に巻いて逃げの一手を打ったとしても、それを彼女はきっと笑って許してくれるだろうが、甘えてはいけない。
そんな裏切りをしてはいけないのだ。
俺は世界でただ一人、この子にだけは嫌われたくないから。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)330頁より。太字は引用者による。
「嫌われたくない」とはどういうことか。
結論から言えば、「傷つけたくない」ということである。
「嫌われる」「傷」に関しての八幡の態度がわかる箇所を引用してみる。
「それでも、知りたいか?」
嫌がられても疎まれても厚かましく思われても、たとえ傷つけることになったとしても、その一線を踏み越えていいのかと、そう問うたつもりだった。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑩』(ガガガ文庫、2014年)178頁より。
(三浦が葉山の文理選択を知りたいと相談に来るシーン)
似たシーンに平塚先生の「誰かを大切にするということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」が挙げられる。
命題の逆や裏が必ず真になるとは限らないが、一線を踏み越えるのならば嫌われる、傷つけることを覚悟しなくてはならない。なぜなら「傷つけないことなどできない」のだから。
そして言うまでもなく八幡にはこの考え方が共有されている。なのになぜ、未だ「嫌われたくない」などと、よりにもよって由比ヶ浜結衣に言うのだろうか。
八幡がこう言った理由として挙げられそうなものは、2つしかない。
- 由比ヶ浜は眼中になかった
- またもやまちがえた
しかし”1.由比ヶ浜は眼中になかった”は否定せざるを得ない。八幡が由比ヶ浜を大切に思っていたのは例を挙げるげるまでもなく事実である(はずだ)し、何より『俺ガイル』好きな人間としてその立場を取るわけにはいかないからだ。
だから、比企谷八幡はまちがえたのだろう。
大切に思うからこそ、かけがえのないものだったからこそ、傷つけることを、嫌われることを恐れた。曖昧な答えで濁して、最終的に自分の答えを肯定してくれる彼女の優しさに甘え、心地よさに微睡んだに違いない。
そう思わなければ、この1年間は何だったのだと、否定しなくてはいけないから。
(八幡を完全に擁護する立場を取るのならば、嫌われたくない=傷つけたくない=大切に思っている=傷つける覚悟をした(「待たなくていい」は傷つけたつもり)、という方程式が立てられそうだ。突拍子もない発想だったが、一応ここに残しておく。)
ともかく八幡は由比ヶ浜に対して「嫌われたくない」という考えを持っていたことを、念頭に入れて考察してく。
「待たなくていい」の意味(表)
この「待たなくていい」には、主に2つの意味が込められている。
- 不要:雪ノ下と共に成長する選択
- 解放:もう見守る必要はない
1.不要は単純に「お前のところへは行かない」という解釈でいいだろう。三人一緒に成長するつもりはなく、あくまで雪ノ下と共に成長したい、ということだ。
そして重要なのが2.解放だ。
これまで由比ヶ浜は「待つ」立場だった。それは「こっちに来て」という意味以外にも、成長を促すような「見守る」存在であったことも示唆している。
そも以前から言うように、由比ヶ浜結衣だけは八幡や雪ノ下とは根本的に別の在り方をしている。
由比ヶ浜は既にコミュニケーション力も高く、理屈や理性に囚われず自分の気持ちのまま行動できるし(優しさやずるさに束縛されることはある)、雪ノ下の本当の気持ちもちゃんと理解している。
こと人間関係や感情解読のスペックにおいては、他二人を遥かに凌駕するのだ。
故に全てがわかる彼女は、ずるくとも優しい彼女は、常に雪ノ下と八幡の意見を尊重してきた。雪ノ下と八幡が大人になろうとしている=子供であるならば、由比ヶ浜は大人、或いは親のような立場を強いられてきた。
その結果として、由比ヶ浜は自分のお願いを叶えるような行動を取れなくなってしまったことは事実だ。
「あの子たちがあんな感じだから、あなたが一番大人にならざるを得ないのよね」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)332頁より。
だから八幡の「待たなくていい」という言葉は、由比ヶ浜結衣の解放になる。二人を見守ることをやめ、「待っていても仕方ない人」になることで、彼女は新たな行動を取ることができる。
「待たなくていい」の意味(裏)
しかし選択とか解放などと言えば聞こえはいいが、別の見方をすれば、その残酷な一面が見えてくる。
八幡は一度も「由比ヶ浜とどうなりたいか」とも口にしていない。ただモノローグで「嫌われたくない」と言ったのみで、この先の関係性には何も言及していない。
「待たなくてもいい」=「待っても仕方ない人」は、つまり「関係性を進めようとしない人」だ。この時点で八幡は由比ヶ浜と関係性の発展を全く断ち切ろうとしているのだ。
しかし「待たなくてもいい」という言葉は「拒絶」の意味を持たない。「こちらからは行くことはないが、来る分には拒まない」という、実質0回答のような答えは、ひどくエゴイズムに映る。
嫌われることを、傷つけることを恐れた、だから関係性は何も進まないし、何も終わらない。
それを停滞と呼ばずして、一体なんと呼ぶのだろうか。
誠実に「全部欲しい」を歪める
由比ヶ浜の「全部欲しい」とは文字通り「全部」だ。三人の関係+恋、或いはその可能性が常に存在している(誰とも付き合ってない)状態を望んでいる。
そして最後に由比ヶ浜が口にした願いは、このようなものだ。
「あたしのお願いはね、もうずっと前から決まってるの」
由比ヶ浜はぱっと立ち上がると、くるりと俺に背を向けて、暮れなずむ空を見上げる。
彼女の背中越しに見る夕日の色は、いつか見たあの色とよく似ていた。
静かに揺れる海に、雪が降っていたあの夕日に。
「……全部欲しい」
潮の香りも煌めく雪もないけれど、あの時と同じ、彼女の言葉がある。やがて由比ヶ浜は静かに、けれど大きく息を吐くと、こちらへ振り向いた。
「だから、こんななんでもない放課後にゆきのんがいてほしい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」
夕焼けを背負って、暖かな光と冷たい風の中で、彼女は希うように呟いた。
(中略)
「大丈夫だ、ちゃんと伝える」
可能な限り、誠実に。(以下略)
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)337,338頁より。太字は引用者による。
八幡は由比ヶ浜のお願いを水族館デートと時と同じお願いだと重ねているが、それは少し違う。確かに八幡と雪ノ下がいるところに行きたかったのは事実だが、それは「全部」ではなく「一部」だろう。
そのお願いを「誠実に」と言って、言葉を額面通り受け取って、意図してかせずか彼女の想いには触れない。
かつての雪ノ下の代償行為には遠いだろうが、それでも由比ヶ浜のお願いは歪んでいる。そのことに自覚なく雪ノ下に告げる八幡に、なんとも形容しがたい感情が浮かんでくる。
嫌われたくないために、ちゃんと傷つけようとせず、この関係を終わらせようとしなかった。終わらなければ始まらない。
気持ちを言葉にできるのなら言葉にするべきだし、言葉にならないのなら言葉を尽くして形取るべきだ。
彼女の気持に踏み込んで、傷つけて、それがちゃんと始めるために必要なことじゃないのか。
擲って壊れてしまうのなら、その程度のものじゃないのか。
馴れ合いは必要ないはずじゃないのか。
傷つけようとしないことはかえって傷つけることがわからない。
優しさに甘えないと言いながら甘えていることに気づかない。
誠実であろうと言いながら言葉の表面しかさらっていないことを知らない。
もはやまちがいと呼ぶことさえ烏滸がましい。
存在するだけで価値を貶め続ける、どうしようもない偽物だ。
終わりに
あまりにも中途半端が過ぎるのでもう一度ちゃんと書き直すつもりではありますが、一旦この記事はこのまま投稿します。ずっと考えていることで視野が狭くなっており、少し間を開けることで視界を広げたい思っています。
そしてYukino side(雪ノ下の考察)に関しましても、本当は同時に投稿したかったのですが中途半端なところまでしか終わらなかったので、近日中に頑張って投稿したいと思います。
では、拙文ではありましたが考察をお読みいただきありがとうございます。