理想討論会

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『俺ガイル完』5話 感想・考察 比企谷八幡は、「責任」に「覚悟」を込める。

 

 

この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第5話

「しみじみと、平塚静はいつかの昔を懐かしむ。」

の感想・考察記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「責任」という言葉の真意。

 

なぜ雪ノ下を助けたい理由が2つあるのか

 

今回新たに登場した、比企谷八幡雪ノ下雪乃を助ける理由は「責任がある」というものだった。

しかし第4話(原作12巻)にて平塚先生に理由を求められた八幡が口にした言葉は「助けるって約束したから」(以降「助ける約束」と呼称する)だ。私は前回の記事でそれを「感情が理由であると規定したもの」という評価をしたのだが、今回の「責任」という言葉にそれが当てはまるかと問われれば、一見するとなかなか厳しいものがあるだろう。

 

hirotaki.hatenablog.com

(↑前回の記事。この記事の内容を前提に考察しているところもあるので、よければちらっとでも覗いてみてください。)

 

 

 

「責任」という言葉の定義は以下のようなものである。

 

責任(せきにん、英: responsibility/liability)とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体や行為の結果に関して、法的な責任がある、または道徳的な責任がある、とされる。何かが起きた時、それに対して応答、対処する義務の事。

 

(中略)

 

日本における「責任」の様々な用法

従来より、日本社会においては「責任」という概念・語がよく理解されておらず、本来のresponsibilityという意味とはかなり離れてしまって[要出典義務という語・概念と混同してしまったり、義務に違反した場合に罰を負う、という意味で誤用してしまう人も多い。あるいは、もっぱらリスク負担することにのみ短絡させている場合もある(部分的には重なるが、同一ではない概念である)。

 

 責任 - Wikipedia 太字は引用者による。

 

 どうやら原義である”responsibility”と日本で浸透している「責任」の意味が違うものであるらしいと今知ったのだが、とりあえず『俺ガイル』作中に出てくる「責任」の意味は日本で一般的に使われている、「義務」という言葉と類似している日本語の「責任」と仮定しておく。

 そして「義務」とは感情と対極にある言葉でもある。『俺ガイル』においては「仕事」という言葉もまた感情と対極にあるような使われ方をしている。

 

こうして考えてみると、「助ける約束」と「責任がある」(或いは義務、仕事)は大きく矛盾しているように見える。また感情を排した論理のみの理由をでっちあげたのかと、そう疑ってしまうのも頷けない話ではない。

 

しかし一つずつ丁寧に考えていくと、「責任」という言葉が本来言わんとすることと、とある重要な言葉と繋がっていることが理解できるのである。

では「責任」の真意と重要な言葉について、順を追って考察していく。

 

 

 

 

「責任」という言葉は適切ではない

 

考察する前にまず押さえておきたい前提がある。そもそも「責任がある」も、そして「助ける約束」でさえも、八幡が雪ノ下を助けたい理由そのものではないということだ。それは八幡のモノローグで幾度と提示されてきた。

 

平塚先生に対して言った「助ける約束」と一色に対して言った「責任がある」は、シチュエーションが酷似している。

 

言葉になんて、なりようがない。大事なことだから言わないんだ。ちゃんと考えて、手順を踏んで、間違えないように、ちゃんと……先生だってそうでしょ」

あんた離任のこと言わなかったじゃねえか。それは大事なことじゃないのか。そう続けそうだった。絶対言うまいと奥歯を嚙み締めたのに、声に出してしまっているのが自分でもわかる。

『……比企谷ごめんね。それでも私はずっと待つよ。……だから言葉にしてくれ。

 

(中略)

 

でも、それだけは言いたくない。一番かっこ悪い理由だから。だけど、言わないと進ませてくれないんだ、この先生は。そうやって俺に言い訳させてくれているのを知っている。

だから額を押さえ、本当に嫌なんだと大きく息を吐いて伝えてから、小さい声で口にした。

「……いつか助けるって約束したから」

頼まれたからなんて、そんな普通に当たり前すぎる理由で、ロジックもリリックもない言葉で、陳腐極まる使い古された言い回しで、あいつを助けるなんて、本当に嫌でたまらない。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)352,353頁より。太字は引用者による。

 

「ちゃんと答えてください」

無理やり首を向けられて、真正面から一色と向かい合う。よほど強く握りしめられているのか、ネクタイには皺が寄り、一式の小さな手はかすかに震えていた。

 

(中略)

 

「ほんとにいろいろなんだよ……。それをうまく説明できる気がしない

「それでもいいです」

けれど、一色は言葉を弄することも許さず、一言に切って捨て、すぐさま言い返してきた。ここで何か答えなければ納得しない雰囲気だ。

だが何を言っても腑に落ちないだろう。

俺の抱く感情も感傷も、そもそも言葉になどしようがなく、だからこそ、どんな形容もしうる厄介極まりないもので、きっとどう伝えたところで分かち合える類のものではない。そんな不透明で不定形、不鮮明なものを杓子定規に既存の言葉に当てはめてしまえば、その端から劣化していずれ大きなまちがいを生む。なにより、たった一言で済まされてしまうのが気に入らない。

 

(中略)

 

うまく言えなくても、まとまっていなくても、それでもいいから答えを示せと、彼女は言うのだ。

だから真摯に誠実に、望まれた言葉と違うのを重々承知で、重苦しいため息と一緒に少しずつ吐き出した。

「……責任がある」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)62,63頁より。太字は引用者による。

 

少し文章が長く対応する場所が見えづらいので、この2つのシチュエーションにおける共通項を箇条書きにまとめてみる。

 

  • 言葉になんてならない、できない
  • ありふれた言葉に規定されたくない、言葉にしたくもない
  • それでも言葉にしなくてはならない(言葉にしてほしい)

 

これらの共通項に見覚えはないだろうか。そう、PVや予告、第1話冒頭などでずっと八幡が口にしてきたことだ。

 

言わなければわからない、言ったとしても伝わらない。

だから、その答えを口にすべきだ。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)11頁より。

 

言葉になることはなく、無理やり言葉にしたところで伝わっているかわからないままで、挙げ句言葉にしたことでずれたり壊れたりすることさえある。

それでも、言葉にしなければ始まらない。言葉にしなければどうなるのかは散々味わってきて、その偽物を終わらせるために言葉にしなくてはならないのだ。

 

故に、「助ける約束」も「責任がある」も、八幡が抱いているものがすべて反映されているわけではない。どちらも適切ではないのだ。

しかしそのどちらもが全く見当違いのものではなく、八幡の「何か」を捉えているのも事実ではあるだろう。だからこそあえて一色には平塚先生に伝えたものとは別の言葉を用いたのかもしれない。私は前者を「感情が起因であることを示している」と考えた。そして後者にも確実に八幡の思いが見つかるはずである。

 

(八幡は平塚先生との会話中にモノローグで「二度は言わない」と言っているので、一色のときに別の表現を用いたのはそれが直接的な理由ではある)

 

 

 

 

これまでの「責任」

 

『俺ガイル』において「責任」といえば、やはり一色いろはのあのシーンが印象的だろう。葉山にフられた一色が帰りの電車で八幡に対して放った「責任、とってくださいね」という台詞。

 

本話でもまた、一色は「責任」という言葉を用いる。

 

ほんとにほんとに、ちゃんと責任とってほしい。

だいたい、今までだって責任とってもらってないのに。

それなのに、責任だなんて言い訳みたいに軽々しく言わないでほしい。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)91頁より。

 

これと対比させてみたいのが、八幡が海浜総合高校との合同イベントを手伝ってほしいという依頼(原作9巻、2期8話)をしたときの会話の一節で用いられた「責任」である。

「あなた一人の責任でそうなっているのなら、あなた一人で解決すべき問題でしょう」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑨』(ガガガ文庫、2014年)247頁より。

 

この2つの「責任」では、少し意味が異なっているように思う。

後者は先程紹介した、日本で一般的に使われる、「義務」と混同された方の「責任」だと考えられるが、前者は「そうでなくてはならない」というようなニュアンスとは違うような気がする。加えて前者には「とる」という動詞があり、自主性みたいなものも内包している。

簡潔に言うならば、前者のものは「とらされる」のではなく「とる」。そういう自身の内に引き受けるような意味での「責任」という言葉の使われ方をしていると考えられるだろう。

 

そして八幡の言った「責任」もまた、一色のものと近い。

 

 

 

 

 「責任」の真意は「覚悟」

 

 「責任」の真意はこの一節にこそある。

 

「それで、……どういう結果になったとしても、その責任をちゃんととりたい」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)82頁より。

 

比企谷八幡は責任を望んでいるのだ。手放して諦めるのではなく、結果を自身で引き受けたいのだ。それがたとえ、残酷なものだったとしても。

 

そしてこの回答は、陽乃からの問の返答でもある。

 

「プロムが実現したら、母は雪乃ちゃんへの認識を多少は改めるかもしれない。もちろん雪乃ちゃん自身の力やれば、だけどね。……それに手を出す意味、分かってる?」

 

(中略)

 

重い問いかけだった。それはつまるところ、彼女の将来に、人生に、責を負うことができるのかと、そう問われた気がした。そんな問いに軽々しく答えられるはずがない。俺たちは後先考えずに動けるほど幼くはないし、全てを受け止めきれるほど大人ではないのだ。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)337,338頁より。太字は引用者による。

 

 八幡の行動で雪ノ下の人生を左右しかねないと、そう釘を刺されたのである。ここで手を出してしまえば父の後継ぎの話はもちろん、雪ノ下がせめてこれだけはと口にした「諦めたい」という願いでさえ壊してしまうかもしれないだろう。その「責任」を負うことができるかと、陽乃は問う。

 

そして八幡は、「責任」をとりたいと口にした。どういう結果になったとしても、つまりそれが彼女の願いを壊してしまうかもしれないと分かった上で、その結果=人生に「責任」を求めたのである。

 

「人生に責任をとりたい」とは、つまり「関わり続ける」ということでもあるだろう。

 

「……少なくとも、関わらないって選択肢はないと思います」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)36頁より。

 

「人生」「関わる」という言葉といえば、かつて平塚先生が行き詰まった八幡に対して説いた人生論を思い出すかもしれない。それこそが、この「責任」の本質なのだ。

 

「でもね比企谷、傷つけないなんてことはできないんだ。人間、存在するだけで無自覚に誰かを傷つけるものさ。生きていても、死んでいても、ずっと傷つける。関われば傷つけるし、関わらないようにしてもそのことが傷つけるかもしれない……」

 

(中略)

 

「けれど、どうでもいい相手なら傷つけたことにすら気づかない。必要なのは自覚だ。大切に思うからこそ、傷つけてしまったと感じるんだ」

 

(中略)

 

「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑨』(ガガガ文庫、2014年)232頁より。

 

 「覚悟」である。人生に「責任」を持つということは、その人をずっと傷つけ続ける「覚悟」をすることなのだ。「責任」の真意は、ここにある。

 

 

 

こうして比企谷八幡は、「助けるって約束したから」と感情を理由に行動し、「責任がある」と傷つける「覚悟」をした。ならば、あとはその先に進むだけである。

 

 

願わくば、彼ら彼女らの未来に「本物」がありますように。