『俺ガイル完』10話 感想・考察 「雪ノ下陽乃は、ただ本物を希求する。」
この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話
「颯爽と、平塚静は前を歩く。」
の感想・考察記事です。
はじめに
比企谷八幡はまたもやまちがえた。
(彼らにとって)正しい答えは、在るべき姿は、「3人の関係を維持すること」だった。なぜならば、それが全員が本当に望んだことだったからだ。
<八幡>
── 本当は。
冷たくて残酷な、悲しいだけの本物なんて、欲しくはないのだから。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)11頁より。
<雪ノ下>
「……正直に言うわ」
(中略)
「楽しかった。初めてだった。一緒に過ごす時間が居心地いいって思えて、嬉しかった……」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)356頁より。
<由比ヶ浜>
だから、ほんとは。
── 本物なんて、ほしくなかった。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)99頁より。
比企谷八幡は、「きっと慣れる」と嘯いて、一色の提案に「ひどく魅力的、理想的」「それもいいかもしれない」とまで惹かれている。
雪ノ下雪乃は、代償行為という欺瞞の前は、或いは感情的な面では奉仕部を愛おしく思っていた。その証拠に彼との離別の意を込めた別れ際には、彼の袖を掴んで離さない。
由比ヶ浜結衣は、いわずもがな、最初から彼の先導する結末に必死の抵抗をみせていた。
「本物」という言葉の前に彼ら彼女らは「ちゃんと終わらせる」という選択をした。
しかし彼らの感情的な面では、誰一人として納得などできていなかったのだ。
代償行為という欺瞞/偽物
代償行為の定義と欺瞞
『俺ガイル』における「代償行為」の定義は、「ある目標がなんらかの障害によって阻止され達成できなくなった時、これに変わる目標を達成することによってもとの欲求を充足するような行動」となっている。
そして八幡はこれを「偽物でもって自身を誤魔化す欺瞞」と述べている。
生徒会選挙編において八幡が奉仕部を守りたい理由を小町に仮託したときも、関わり続けたい気持ちを「仕事」や「お兄ちゃんだから」という義務感に押し込めたときも、それらは彼の中で嘘で虚偽で欺瞞で偽物としてきた。そして気持ちは気持ちのまま、言葉になりようもないものをそのままをぶつけることを、彼は正義と、本物としてきた。
故に本当に望んでいるものではないものを望ませたこと=「代償行為」を発生させたことは、つまり本当の望みを歪ませた誰かがまちがっていて、その結末は最低最悪の偽物に違いない、といった理論だ。
きっと彼女の言葉に嘘はなくて、ただそれ以前に、答えを出すための前提が歪んでいたのだ。
否、俺が、比企谷八幡が歪めてしまった。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)290頁より。
しかもなお悪いのが、その偽物を二人に押し付けたという点だ。
雪ノ下には「代償行為」という欺瞞を発生させ、由比ヶ浜結衣には彼女の願いを捻じ曲げてまで受け入れてもらった。偶然の産物ではなく、予想外の事態ではなく、彼の意図通り、事通りに運んだ結果が偽物だったのだ。
代償行為の仕組み
私は代償行為の仕組みをこのような形で解釈した。
(修学旅行後)
雪ノ下:自立して八幡に守られることをやめ、奉仕部を正しい形にしたい(奉仕部の終わりは考えていない)
由比ヶ浜:3人の関係を維持したい
↓
八幡「曖昧な答えとか、なれ合いの関係はいらない。本物がほしい」
↓
雪ノ下「父の仕事を継ごうとして、(+八幡も奉仕部も)諦めることで全部終わらせて、始め直す」<代償行為=無自覚的>
由比ヶ浜「本当は全部ほしい、でも八幡も雪ノ下も願っているから終わらせなくてはいけない」<本当の願いを飲み込ませる=自覚的>
本当は両者に言及したいが、しかし由比ヶ浜については別の機会にまとめて考察しようと考えているため、便宜上ここでは割愛することにする。
雪ノ下雪乃の代償行為
雪ノ下雪乃はどうしたいか、それは彼女自身も分かっていない。
「由比ヶ浜さん。あなた、私にどうしたいか聞いてくれたわね。……でも、それがよくわからないの」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)43頁より。
ただ修学旅行での海老名さんの一件後、漠然と今の奉仕部が良くない状態であったことは感じたはずだ。自身では解決できないことを八幡に押し付けてる状態が良くないのだと判断した雪ノ下は、生徒会選挙の依頼を機に自ら動き、自らの手で依頼を解決しようとした。
(ここで雪ノ下が奉仕部の存続を意識していたのかは私にはわからなかった。しかし奉仕部を大切に思っていたであろう彼女は全部終わらせるつもりなどなかっただろう。単に現状の問題を解決すべく後先考えず動き出したのか、生徒会長になったあとに何かプランがあったのかのどちらかだと考える。)
しかしそれは八幡の誤解、或いはすれ違いによって達成されなかった。自分に自信がない雪ノ下は、由比ヶ浜の取り繕った会話に同調し、八幡が一色を手伝っていることも放置していた。
そして海浜総合とのクリスマス合同イベントが限界を迎えた八幡は、奉仕部に依頼をかけ、そこで「本物がほしい」と口にする。
当然「本物」という独善的で抽象的な言葉が理解できるはずもない彼女は、とりあえず目先の問題である合同イベントを終わらせや諸々のイベントを消化していくが、どうすれば正しいのかはわからずじまいだった。
奉仕部3人での水族館デート後、八幡が馴れ合いや曖昧な関係を望んでいないことだけは確かに理解した。加えて、それが正しいものだとも考えた。
かつて抱いていた父の仕事への憧れを覚えていた彼女は、それを目標にし、家業への未練と憎からず思っていたであろう八幡への想いや奉仕部の関係を精算し、正しく終わらせることで実質的に奉仕部を正しいものとして遺そうとした。
つまり代償行為とは、「奉仕部を正しい形に戻したい」という欲求を、「正しく終わらせる」という目標で以て擬似的に満たそうとしたことを指すのではないだろうか。
そして終わりを迎えればまた始まりが来る。
次の始まりこそは、ちゃんと上手く、正しく始めようとしたのだろう。
雪ノ下陽乃という人間
陽乃の裏切り(とも取れる行動)
当時、というかアニメ後の再解釈を行うまでの私はひどく困惑していた。意味がわからない、「なんで、今になってそんなことを言うの」と。今まで雪ノ下を応援すると言ってきた陽乃はいつの間にか消えて、突然彼らを破壊するような言葉を放つのだ。正直、裏切られたとさえ思った。
それまでの陽乃のスタンスは、本物を希求している(或いはそれを八幡に見出そうとしている)素振りを見せつつも、八幡に対しては「妹の望みに介入しようとするのか」と姉として、或いは諦観した大人としてのスタンスを貫いていた。
アニメではカットされてしまったが、プロム開場前に雪ノ下母と陽乃が挨拶に来たシーンもまた、そのスタンスを強調していると感じていた。
(※状況は雪ノ下が責任者として対応している中、雪ノ下母が八幡のダミープロム計画を褒めたシーン)
「いや俺がやったわけじゃなくてですね、それもこれも全部……」
娘さんが、と言いかけた時、雪ノ下の母親の後ろにいた陽乃さんの目がすっと細くなる。けして何も言いはしないが、その視線は俺を試しているように思える。
おかげで、それ以上、何も口走らずに済んだ。
(中略)
「よく我慢したじゃない。……あれでいいんだよ」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)226~228頁より。
私は私の中で、雪ノ下陽乃という人間を「本物を求め、志の近い八幡を過去の自身と重ねているものの、あくまで姉・大人としての立場、そしてついに得られなかった者としてその存在を否定しなくてはならない人」と捉えていた。
今となっては勝手な解釈甚だしく、赤面モノだ。心のなかで誰かが「勝手に期待して、勝手に失望するな」と囁いているのがとても胸を締めつける。
私の心の内を赤裸々に明かしたところで何の得もないので、どうして陽乃がスタンスを変えたのか考えていく。
あの終わり方を本物だと認めたことはない
そもそも陽乃は雪ノ下との離別を促したとはいえ、彼ら彼女らの終わり方について彼女自身が納得したような素振りを見せたことはない。陽乃が雪ノ下の願いを尊重するようなスタンスを取るとき、必ず姉(家族)か大人としての立場を保っている。
「でしょ?雪乃ちゃんがそれを選んだのなら、私はそれを応援するの。それが正解でもまちがっていても」
(中略)
「そうやって諦めて大人になっていくもんよ」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)86,87頁より。太字は引用者による。
「わたしのことは関係ないでしょ。今話しているのは雪乃ちゃんのこと。あの子がちゃんと言ったのは、たぶん初めてだからさ。比企谷くんも見守ってあげて」
(中略)
「ふふっ、またお姉ちゃんしてしまった……」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)88頁より。太字は引用者による。
「雪乃ちゃんは自立することを選んで、その関係性を終わらせたいんだよ。比企谷くんができることは見守ってあげることなんじゃないのかな」
この上なく優しい声音で、幼子を諭すように、陽乃さんが言った。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)323頁より。太字は引用者による。
妹を案じる姉としてか、先ゆく大人としてか、そういった雪ノ下雪乃と結びつく関係性の中で、その立場に応じた最適解を口にしているにすぎない。雪ノ下雪乃とは独立した雪ノ下陽乃という個人は、その是非について論じたことはない。
加えて以前にも、彼らの終わりについて納得していないような態度を取ったことはある。『俺ガイル完』8話で陽乃にダミープロム計画を持ち込んだシーンだ。
「それがどんな終わりでもいいの?雪乃ちゃんも、……誰も望まない終わりでも?」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)324頁より。太字は引用者による。
この10話以前の私は、この「誰も望まない終わり」というのを、「雪ノ下が自立しようとしているのに、余計に関わることで拗れる」といったニュアンスの、あくまで姉/大人としての陽乃の発言だと解釈していた。
しかし今回の陽乃の発言を鑑みれば、これはそれまでの「雪ノ下自立を見守るべき」という文脈とは全く別物だと考えられる。「誰も望まない終わり」というのは、今の彼らの状況を予見しての言葉で、彼女の本心から漏れ出たものだったのだろう。(ともすれば、陽乃もまた「望んでいない」ということかもしれない。)
姉・大人⇒希求者としての陽乃への変遷
先述の通り、陽乃は八幡の選択について、個人の見解を述べたことはない。必ず何らかの立場の上で発言していた。
しかし今回は「雪乃ちゃんは」ではなく「私は」に主語が移っている。つまりこれこそが彼女の本当の気持ちであり、「雪ノ下陽乃」という個人のスタンスなのだ。
「言ったでしょ。なんでもいいし、どっちでもいい。家のことなんかどうでもいいの。わたしがやろうが雪乃ちゃんがやろうがどっちだっていい」
先と似たようなことを言われ、俺は思わずため息が出る。それを聞きとがめたのか、陽乃さんはそっと硝子戸の外へと視線をやった。
「……私はただ、納得させてほしいの。どんな決着でもいいから」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)284頁より。
強化外骨格として積み上げてきた家業の継承者という立場を考慮に入れず、さんざん見守るように言ってきた雪ノ下の選択すら「どっちだっていい」。大人という立場も、姉という立場も、完全に放棄している。
雪ノ下陽乃という人間は、「本物はあるのか」という問いに納得がいくだけの答えがほしい、ただの純粋な希求者なのである。
もしかしたらプロムを見て心変わりしたのかもしれない。大人/姉として見守るはずだったのに、八幡が自分を騙して偽物を受け入れようとしている様に同族として怒りを覚えたのか、ともすれば嫉妬や悲しみだったのか。いずれにせよ、彼女は最後にそのベールを脱ぎ去った。
加えてこの説の補強として、「彼女の表情の幼さ」が挙げられる。
以前私は『俺ガイル完 5話』の考察記事にて、「大人な由比ヶ浜結衣の表情が幼かった」という旨の考察(というかポエムっぽいもの)を書いた。
『俺ガイルにおいて最も「大人な」人間は由比ヶ浜結衣である。』
そして、由比ヶ浜は最後に本心を吐露する。
涙が止まらなければよかった。
「大人」になった由比ヶ浜の最後の泣き顔は、酷く幼く映るである。
4話当時は(気持ちが昂ぶっていたせいで何故か)行間をたっぷり取って思わせぶりな文章を書くという考察にあるまじき文章を書いてしまったが、つまるところこれは「諦め=大人⇔本心=幼さ」という対比に言及したのだ。
そして今回も同様、雪ノ下陽乃の表情はかなり幼さが伺える。
陽乃さんの悔恨まじりの独白は脆く儚く、遠くを見つめる瞳は潤んでいた。いつもの大人らしい余裕も蠱惑的な危うさもまるで感じられず、ともすれば俺より幼く見えた。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)289頁より。
この表情を見せたことが、今までの強さを糊塗した強者としての雪ノ下陽乃ではなく、ただ本物を諦めきれず求め続けている純心な雪ノ下陽乃、と考えられるだろう。
「二十年の価値」という矛盾
陽乃が雪ノ下の選択に納得がいかない理由として、「二十年の価値」を挙げている。
「こんな結末が、わたしの二十年と同じ価値だなんて、認められないでしょ。もし、本気で譲れって言うならそれに見合うものを見せてほしいのよね」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)273頁より。
「こんな結末」という言葉は額面通り「雪ノ下が家業を継ぐこと」ではないと私は考えた。彼女にとって雪ノ下が家業を継ぐことは「どっちだっていい」のだから。
(無論、今までは何もしてこなかったのに突然「家業を継ぎたい」なんて言い出す雪ノ下が神経に触った、ということもあるかもしれないが)
となると「こんな結末」とは、「(偽物のまま)八幡たちが離別すること」が真の意味だと考えられる。
しかし同時に、彼女は自身の二十年について、こんな告白をしている。
「ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。いつまでたっても終わらない。わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)289頁より。太字は引用者による。
前者では「私の二十年の価値の重さには見合わない」といったニュアンスの発言をしておきながら、後者ではその価値を「偽物」と、『俺ガイル』において最も最悪な評価をしている。両者は一見矛盾している。
しかし『俺ガイル』において「本心」や「気持ち」は最上級の価値を持つ。よって陽乃の本心を基準に考えると、彼女の言葉はこのような形に変化する。
こんな結末が、わたしの(偽物みたいな)二十年と同じ価値だなんて、認められないでしょ。
これが何を意味するか、明確なことは何も言えない。
「君はそこまで来ているのに、私の偽物と同じ価値を持っていいはずがない」という八幡へのエールなのか、「偽物だけどそれでもずっと探し続けてきた」という探求者、希求者としてのプライドなのか、彼女の青春を知らない私はその意味を正確に汲み取ることはできない。
しかし偽物であるが故に、何よりも本物に焦がれているとも言える。
偽物であるが故に苛烈に求め続けてきたものは、人生は、彼女にとって代え難い確かな価値を持っているのだろう。
終わりに
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
正直なことを言うと、私自身もこの考察について正しい整理ができていません。故におそらく駄文であるでしょうし、全く見当違いな考察、或いは誰もが気づいているようなことをしたり顔で考察しているしているかもしれません。
しかしまあ、記事にすることで自分の解釈を見つめ直し、より新たな発見、考察にたどり着くために書いています。
極論を言うと私の考察自体は合っていてもまちがっていても構わないのです。最終的に正しい考察になりさえすれば。
つまり何が言いたいかというと、皆さんの思っていることを自由にコメントしていただきたいということです。
自分の考察を自虐するのは曲がりなりにも考察している人間としてどうなんだ、と思いますが、間違いなく私の考察はまちがっています。
ぜひとも皆さんの考察をお聞かせください。この記事のコメントではなくても、私のTwitterのリプでもDMとかでも構いませんので。
では改めて、お読みいただき本当にありがとうございました。
(*八幡は本物を望んでいたじゃないか、という反論があるかもしれないが、これについてはほとんど不明。
しかしアニメ2期(9巻)で口にした「本物A」は「醜い自己満足を押しつけ合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性が存在するのなら」と関係の継続が意識されているが、アニメ3期(12巻)での「本物B」は「終わり」が特に意識されている。よって私の中では両者を別物として一旦解釈している。)