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『俺ガイル完』4話 感想・考察 由比ヶ浜結衣は、未来に何を見たのか。

 

  

この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話

「ふと、由比ヶ浜結衣は未来に思いを馳せる。」

の感想・考察記事です。

 

 

 

 

 

 

雪ノ下母の「怖さ」とは。

順調に進んでいたはずのプロム計画において大きな壁として立ちはだかったのが、雪ノ下母という存在である。彼女の周囲からの評価は、おおよそ以下のものである。

 

  • 八幡;諭すような物言いで、言外に示すような、含めた言い方が多い。感覚的に陽乃さんに似ている。
  • 陽乃;何でも決めて従わせようとする人。自分より怖い。

 

陽乃の「自分より怖い」という言葉はさておき、それ以外の評価については彼女の人物像そのままという印象が強い。実際に本話において対面した八幡の彼女に対する評価は、「相手の意見を聞くふりをしつつ、最初に用意していた罠=結論に半ば強引に持っていく」というものであった(果たしてこれが「怖い」と評価されるものなのかと言われると、少し言い淀んでしまうところはあるが)。

 

ここで、実際に雪ノ下母がどのように結論へ持ち込むのか、保護者会/雪ノ下母側の主張(「青」)とそれに対する生徒会側の反論(赤)の流れをざっくりと紹介する。(なお原作において議論はアニメより数ターン多いので、原作での発言から引用する。)

 

  • 「健全ではない、高校生らしくはない」←保護者会、学校側で防止する旨の内諾を得ている
  • SNSでの特定など、派手な催しに際して充分なインターネットとの付き合い方に疑問がある」←可能性の話をしたらきりがない
  • 「否定的な意見がある中で無理にやる必要はない。謝恩会は保護者や先生方、地域の方々にとっても大切なイベント。これまでのもので不満がなかったのならそのままでも構わないのではないか」←私達未来の卒業生にも提案する権利はある
  • SNSでは肯定的な意見がほとんど←「SNSには表れない意見に耳を傾ける必要もある」

 

 

主張の流れを見て私がまず思ったのは、「議論の中身が見えてこない」ということだろう。そも何を問題視して何を解決しなくてはならないのか、議論の核となる部分が曖昧になっている。意見にあまり一貫性を感じない。

それが何故なのかといえば、「結論ありきで発言している」という条件を与えてみれば納得できる。つまるところ意見というのは「プロム中止」それのみであって、理由についてはそれに誘導するための即席モノでしかないのである。だからこそ随時切り口を変えられる「カウンタースタイル」を好むのだろう。実際保護者会側の主張はどれもプロムを中止させるだけの材料にはならないが、しかし保護者会に協力の意思が見られなければその問題点を解決するのは難しくなる。板挟みになる学校側からすれば、安定を取ってプロム中止の対応になるのも頷けなくはない。

 

先程”これが「怖い」と評価できるものなのか”という発言をしたが、実際この行為自体は対象の恐怖を煽るというよりは単に対処が面倒なだけのように感じてしまう。正に言い出したらきりのないような事ばかりで、クレーマーに似た発言でしかない。

あくまで私の推論だが、母という立場、保護者会の代表、知事の妻など、その発言が権威(立場)に紐付いている厄介さこそが肝要であり、その理不尽さを以て「怖い」と捉えることができるかもしれない。少々強引ではあるが。

 

 

 余談;雪ノ下母の娘への対応の違い

雪ノ下母の娘への対応の差は顕著に現れている。陽乃と相対するときは厳然さを以て注意をするのだが、雪乃と相対するときは柔和な表情で宥めるような声で話す。つまり大人として扱うのか、子供として扱うかの差である。この対応の差こそが、立場に縛られた陽乃の気に入らないところであり、同時に雪ノ下雪乃が自分を認めてくれていないと感じるところなのだろう。

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アニメでは表情を大きく変え、その対応の差がわかりやすいようになっている。

 

 

 

 

 

共依存比企谷八幡の感情。

 

共依存とは

これまで奉仕部の関係性を規定する言葉はなかった、というよりは彼ら彼女らによって敢えて避けられてきたのだが、邪智暴君の陽乃が暴いてしまったことで、その関係性にひとつの「ものさし」ができてしまった。それが『共依存』という概念である。

 

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする

 

引用:共依存 - Wikipedia

 

少し難解な語彙・表現が多いが、普通の依存とは異なるのが、その依存性が一方的なものではなく、双方向性を持つという点だ。読んで字の如く「共に依存する」という状態。依存している、または依存されている状態を意識的か無意識的か肯定し、そこに自身の価値を見出すというのは、まあ一般的には健全ではない。

 

ではここで、奉仕部がいかにして共依存的であるか、その構造を私なりに示してみる。

 

  1. 雪ノ下→八幡+由比ヶ浜;目的の達成のため、2人に助けてもらってばかりいる(一人で立てない)
  2. 八幡→雪ノ下;頼られたら断れず、あまつさえそれを自分の存在意義の確認に利用する(お兄ちゃん的)
  3. 八幡→由比ヶ浜;問題が発生すれば、真っ先に頼る相手<仮定>
  4. 由比ヶ浜→八幡;「八幡→雪ノ下」とほぼ同じ<仮定>
  5. 由比ヶ浜→雪ノ下;雪ノ下の思いをすべて理解しつつ、彼女の決定に身を委ねた

 

3,4については根拠が足りず、 5については後述するので、まずは1,2を中心的に見ていこうと思う。

 

 

比企谷八幡の「心残り」

特に今回八幡が酷くショックを受けたのが2の「八幡→雪ノ下」の方向性で、アニメでは大幅にカットされていたもの原作のモノローグではその落ち込み具合が強く描写されている。

 

何度も教えてもらっていた。甘やかしている自覚がないのかと指摘された。頼られて嬉しそうだと言われていた。その都度、お兄ちゃん気質だの仕事だから仕方ないだのと、嘯いて。

羞恥と自己嫌悪で吐き気がする。なんと醜く、浅ましいのだ。孤高を気取りながら、頼みにされれば満更でもなく、あまつさえ愉悦を感じ、それをして自身の存在意義の補強に当てるなどおぞましいにも程がある。無意識に頼られる快感を覚え、卑しくもそれを求め、そして求められなかったことを一抹の寂しさなどと偽る。その品性の下劣さ、醜悪極まる。

なにより自己批判することで、自分に言い訳をしていることが心底気持ち悪い。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)347頁より。

 

葉山から、陽乃から、一色いろはから忠告を受けていた。「『お兄ちゃん』するのか」と。

 

hirotaki.hatenablog.com(↑こちらでも八幡の『お兄ちゃん』に対する考察をしている。よければご参照を。)

 

 

確かに高校2年の春の八幡からすれば、この関係性は醜いものでしかないだろう。常に「ぼっち」として孤高を極め、”寄る辺がなくともその足で立ち続ける”(と思い込んでいた)雪ノ下に憧れていた彼の姿は見る影もない。

しかしそれは彼女たちを知る前の比企谷八幡である。今は知っていることもあり、知らないことがあることも知っている。移ろう関係性の中で、価値観は常に更新される。

 

そしてその新たな価値観の中には、平塚先生の言葉も含まれているだろう。

 

計算できずに残った答え、それが人の気持ちというものだよ」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑨』(ガガガ文庫、2014年)229頁より。

 

理由を絞り出して、言葉になりようもないものを計算し尽くして、そうして八幡は、残った答えを口にするのである。

 

共依存は仕組みだ。気持ちじゃない。言い訳にはなっても、理由にはなってくれない。

そこまで全部考えて、出し尽くして、絞り出して、心に残っているのは心残りだけだ。

でも、それだけは言いたくない。一番かっこ悪い理由だから。だけど、言わないと進ませてくれないんだこの先生は。そうやって俺に言い訳させてくれるのを知っている。

だから、額を押さえ、本当に嫌なんだと大きく息を吐いて伝えてから、小さい声で口にした。

「……いつか、助けるって約束したから」

頼まれたからなんて、そんな普通に当たり前すぎる理由で、ロジックもリリックもない言葉で、陳腐極まる使い古された言い回しで、あいつを助けるなんて、本当に嫌でたまらない。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)353,354頁より。太字は引用者による

 

全部考えて、出し尽くして、絞り出して残った「心残り」こそ、平塚先生の言った「感情」にほかならない。計算し尽くした果てに、感情という答えを導いたのである。

いつだって問題を設定して必要な理由を求めて、そうやっていくつもの問題を解消してきた八幡にとって、「感情が理由だ」と言葉にする行為は初めてなのである。

 

一見「助ける」という言葉は直接的ではないと感じるかもしれない。しかしそこには理由も意思も、全てが八幡自身の中に存在するのである。「誰かのグループの関係性を壊さないため」や「小町のため」ではなく、比企谷八幡の中にあるものだけで行動するのである。

 

確かにスマートではないだろう。感情を排して理論に沿って行動したほうが合理性があるし、自分を納得させやすい。必要なことだからと、これが一番最短なのだと、そうやって言い訳するのはとても楽なのかもしれない。でもそれは「本物」ではないと、平塚先生は、八幡は、そう感じているのだ。

 

 

俺ガイルにおいて、「言葉」は大きな意味を持つ。素直でない彼ら彼女らはいつも遠回しな表現を好むが、特に核心的な部分において直接的な表現はほとんど用いられない。それは彼ら彼女らが「何か」を規定することを恐れ、避けてきたからだ。

 

ついに比企谷八幡は規定した。ならば、あとは彼の行動を見守るだけである。

 

 

 

 

 

由比ヶ浜結衣は、未来に何を見たのか。

 

『俺ガイルにおいて最も大人な人間は由比ヶ浜結衣である。』

 

奉仕部が現在も奉仕部たり得るのは、間違いなく由比ヶ浜結衣の存在によるものだろう。孤高を貫いていた(貫こうとしていた)雪ノ下に初めて踏み込んだ人間であり、八幡が折れそうなときにはそばにいて、もう一歩踏み出すのだと背中を押した。例え欺瞞と言われても、壊れそうな奉仕部をギリギリで繋ぎ止めていたのは彼女である。ふらふらとどこかに行ってしまいそうな雪ノ下と八幡において、彼女は大きな精神的支柱となっていただろう。

 

加えて、俺ガイルにおいて最も敏い人間でもある。

かつて奉仕部での水族館デートの際、雪ノ下に問いかけた由比ヶ浜を八幡はこう評価していた。

由比ヶ浜はたぶんまちがえない。彼女だけはずっと、正しい答えを見ていた気がする。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』(ガガガ文庫、2015年)314頁より。

 

そして陽乃が「共依存」と言い放った八幡との会話時、原作では陽乃が「本当は由比ヶ浜と一緒に帰るつもりだったけど、逃げられてしまった」と吐露するシーンがあるのだが、そこで彼女は由比ヶ浜という人間についてこう語るのである。

 

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「本当に勘がいい子だよ。全部わかってるんだもん。雪乃ちゃんの考えも、本音も、ぜーんぶ」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)342頁より。

 

雪ノ下陽乃をしてそう言わしめるのだから、彼女はきっと全てを知っている。論理ではなく感情を理解する彼女であるからこそ、理論を最優先する八幡が遠回りした場所に先にたどり着いたのだ。

 

 

しかし、由比ヶ浜結衣は最初から完全に大人であったわけではない。

陽乃曰く、「大人になるということは、たくさんの何かを諦めること」だと言う。それが俺ガイル世界における「大人」と定義するならば、 少なくとも水族館デートのときの由比ヶ浜は、大人ではなかった。

 

「あたしが勝ったら全部貰う。ずるいかもしんないけど……。それしか思いつかないんだ……。ずっと、このままでいたいなって思うの」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑪』(ガガガ文庫、2015年)313頁より。

 

由比ヶ浜結衣は、何一つ諦めようとしなかったのである。奉仕部の関係性から自分の想いまで、何一つ手放せなかったのである。あえて悪い表現を用いるなら「駄々をこねる子供」のようでもあるだろうか。

 

 

 そんな由比ヶ浜は今回、八幡との買い物にてふと未来を想像することになる。

 

例えばそれは家族連れの客を見たとき。もしも、好きな人とその子供で買い物に出かけたりするのだろうかと。

 

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(原作では由比ヶ浜のこのような描写は一切ないので、アニメオリジナルの描写だろう)

 

例えば何気ない日常の会話の中で。生活感のある1K賃貸のショールームで、調理道具を持ってキッチンに立ってみたりして、小さい頃の夢であった「お嫁さん」になった姿を想像してみる。

 

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(1Kなので一人暮らし用の部屋なのだが、細かいことは気にしない)

 

 自分の好きな人に一緒に買い物に誘われて、舞い上がって、期間限定のマッ缶自販機に興奮している姿を愛おしく思って、一緒に家具コーナーを覗いてみたりして。そうして、その先を夢見る。年頃の少女にありふれた、幸せな「未来に思いを馳せる」のである。

 

 

しかし、それはどうしようもなく叶わないのだと、敵わないのだと、悟ることになる。

プロムが中止目前になって八幡が口にした言葉に、由比ヶ浜は涙する。八幡は「大丈夫か」と問うてくるが、由比ヶ浜はこう返す。

「え、あ、なんか安心したら涙出てきた。びっくりしたー……」

 

「やー、わからないことだらけだったから……。なんかひとつでもわかるとほんと安心する。むしろ今だいじょぶになった感じ」

 

 渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)354,355頁より。太字は引用者による

 

この「わかる」とは何を指すのか。それは八幡の想いにほかならない。

かつて由比ヶ浜は雪ノ下家にあった2S写真で、雪ノ下の想いを再確認した。

そして今回、由比ヶ浜は八幡の想いを知った。

曖昧模糊とした関係性に、線がつながったのである。他はよくわからなかったとしても、そのひとつだけはわかってしまったのだ。

 

八幡が走り去ったあとの由比ヶ浜のモノローグには、こんな節がある。

 

彼女が考えていることも思っていることもちゃんとわかっていて、でも、彼女みたいに諦めたり、譲ったり、拒否したりできなかった。

すごく簡単なことのはずなのに、あたしは何もできなかった。全部、彼女のせいにしてそうしなかった。

彼女が彼に依存したみたいに、あたしは彼女に依存したの。

 

 渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑫』(ガガガ文庫、2017年)359頁より。太字は引用者による

 

これこそが先述の”5.由比ヶ浜→雪ノ下;雪ノ下の思いをすべて理解しつつ、彼女の決定に身を委ねた”という共依存性なのである。

雪ノ下の自立は八幡と雪ノ下の関係性を断つことだとわかっていて、しかもそれは雪ノ下の思いとは裏腹であることも理解して、あえて口に出さなかった。それが自分にとって都合が良かったから。

 

しかし、八幡が口にしたことで、思いは規定されてしまった。言葉に出さないことで曖昧になっていたものが、一気に形作った。

だからこそ、今度は自分が諦めた。涙を止めて、思いに栓をして、笑顔で八幡を見送った。

 

そうして由比ヶ浜結衣は、雪ノ下と八幡の「未来に思いを馳せる」のである。

 

 

 

 

『俺ガイルにおいて最も「大人な」人間は由比ヶ浜結衣である。』

 

そして、由比ヶ浜は最後に本心を吐露する。

 

涙が止まらなければよかった。

 

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「大人」になった由比ヶ浜の最後の泣き顔は、酷く幼く映るである。