理想討論会

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『俺ガイル完』9話 感想・考察 「うまくやる」ことの矛盾

 

 

この記事は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第9話

「きっと、その香りをかぐたびに、思い出す季節がある。」

の感想・考察記事です。

 

 

 

 

 

 

「うまくやる」ことの矛盾

 

 彼ら彼女らはこの関係性をちゃんと終わらせたあと、「うまくやる」ことをことさらに意識している。その哀惜こそが本物になりきれないお為ごかしの関係性にけじめをつけられた、雪ノ下雪乃が一人で立つことができた証左として受け入れようとしている。

 

上手くいくだろうか、もっと上手に振る舞えるようになるだろうか

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)87頁より。

 

不自然で、下手で、ぎこちないのは自分でも分かっているけれど、それでも、明日からはもっと上手に笑わなければならないのだ。

本当はどんな顔をすればいいのかはわからないけれど、目を合わせていいのかさえ判断つかないけれど、自然に話せる自信も全くないけれど、世間話の話題なんて一つも思いつきはしないけれど、以前の振る舞い方を思い出すこともできないけれど。

それでも。

きっと私は、もっと上手く、ちゃんと上手に、できるようになる。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)92,93頁より。

 (*由比ヶ浜結衣に関しては、「ちゃんと終わらせる」という発言は多かったものの、「うまくやる」と言えるような言えないような発言ばかりであったためここには引用しなかった。理由としては他二人とそもそもの願いの在り方が違うということが挙げられる。)

 

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ところで「うまくやる」という言葉の定義とはどういうものだろうか。

 

「うまくやる」という言葉の初出は、1期7話(4巻)の林間学校だ。

 

(さすがにこのレベルの出典探しは私には不可能で、情報を頂いたのは「pf%俺ガイル考察垢(@HumbertWendel)」様のツイートからということを明記しておきます。あと原作の考察ブログも立ち上げていらっしゃいますので、ぜひそちらにも。ちなみに私の5億倍は濃密な考察で打ちひしがれました。)

(この「ちゃんとやる」という表現は「うまくやる」のことと考えて良いと思われる。キャンプ中に平塚先生が「ちゃんとやる」という表現を用いた箇所は見当たらないため)

mythoughtsonimguileiswrong.web.app「pf%俺ガイル考察垢(@HumbertWendel)」様の考察サイト。

 

 

その初出と思われる発言が以下である。

「比企谷、違うよ。仲良くする必要はない。私はうまくやれと言っているんだ。敵対するわけでも無視するわけでもなく、さらっとビジネスライクに無難にやり過ごす術を身につけたまえ。それが社会に適応するということさ」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。④』(ガガガ文庫、2012年)77頁より。

 

「うまくやる」というのは、言い換えると「大人になる」とも言える。中高生の時代にはよく耳にしていたかもしれない、「もう大人なんだから」と。そして『俺ガイル』において「大人」という表現は「たくさんの何かを諦めた人」として用いられる。

 

そして当時の八幡は平塚先生のこの言葉に拒絶を示す。

 畢竟、人とうまくやるという行為は、自分を騙し、相手を騙し、相手も騙されることを承諾し、自分も相手に騙されることを承認する、その循環連鎖でしかないのだ。

 

(中略)

 

なら、結局それは虚偽と猜疑と欺瞞でしかない。

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。④』(ガガガ文庫、2012年)78,79頁より。

 

当時の尖っていた八幡にとって人と「うまくやる」ことは虚偽と猜疑と欺瞞であったらしい。

 しかし今ではその態度は大きく変わっている。彼らは自ら(望んでというわけではないが)「うまくやろう」としている。雪ノ下ととは言わずもがな、葉山隼人とは「理解はできないけど共感はある」として衝突を躱そうとしているし、相模南(文化祭委員長)とは無視を決め込んでいる。

加えて、彼からこのような言説も見られる。

 「そうならないために俺たちは学ぶべきなんだ。うまくやり抜く賢さをな。このプロムはその訓練にうってつけの場だと言える」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑬』(ガガガ文庫、2018年)178頁より。

(「そうならないために」の前は、このままではみ出しものでは、成人式に家族からお金をもらい温かく見送ってもらったは良いものの、結局成人式には行かず適当な場所で夜まで過ごすであろう悲しみを説いている)

 

 この言説は、林間学校での平塚先生の再現と言っていいだろう。虚偽と猜疑と欺瞞と口にしていた彼はいずこ、むしろ肯定的な立場を取っている。八幡もあの頃から少し「大人」にはなっているということだろうか。

(この八幡の態度の変化を非難するつもりは全く無い。以前の彼を肯定も否定もしないが、あの心持ちでは社会に馴染むことは難しいであろうことは容易に想像できる。)

 

以前の彼は「うまくやる」ことを非とし、現在の彼はそれを是としている。人の心持ちなど容易に変化するとはわかっているものの、比企谷八幡の本物/偽物に対するコンプレックスは相当なものであり、加えてそれが『俺ガイル』の根幹を成すわけで、少し注意深く見る必要がある。今のところ彼の考え方が変化したという自白はなされていない。

果たして、この「うまくやる」という矛盾は、今後どう作用してくるのだろうか。

 

 <*ちなみにダミープロム計画成功後に八幡、由比ヶ浜、遊戯部(with.材木座)、葉山グループという絶望的に相容れないであろうメンバーでプロム成功の打ち上げがカラオケで行われたのだが、そこでなんと遊戯部と葉山グループが奇跡的にマッチし盛り上がりを見せることになる。その光景を見て八幡は「マイルドヤンキーとイキリオタクは精神構造がだいたい同じなため、きっかけがあれば『うまくいく』」と評した。これもまた、「うまくやる」という一例として登場したのかもしれない。

そして同時にその喧騒をよそに陽乃の「だから君は……」という言葉を思い出す。解説するとシチュエーションから長々と話す必要性があり冗長になるので、詳しくは各自原作を参照していただきたい。>

 

 

 

 

由比ヶ浜結衣のお願い

「できる範囲で」というフラグ

 

ヒッキー、いつもそうじゃん。できないのに、できる範囲でって言って、それで、結局なんとかするの。すっごい無理して。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)49頁より。

「できる範囲」でという言葉はある意味危険なフラグでもある文化祭で雪ノ下を助けるために(6巻)、修学旅行で戸部の告白を阻止するために、生徒会選挙で雪ノ下を当選させないために、できる範囲のことをやってきた結果が現状である。その結果の善し悪しは棚上げにしておくとしても、そうして傷を負う八幡の姿を見て心を痛めたのが彼女だ。

加えて「できる範囲」という言葉は、八幡語に言い換えると「できてしまうのなら全て=目的の達成を第一優先とする」ともなるわけで、つまりお願いされた身である八幡からは「由比ヶ浜に対しての主体性」が欠如している。それを八幡が望んでいるとはいえ、いつでもその願いがちらつくであろう彼女にとって酷なことに違いない。

 

 

 

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 ちなみにお気づきの方もいるかもしれないが、由比ヶ浜の指摘後であるのに、めぐり先輩の「またみんなで楽しいことやってね」という言葉に対して八幡は「可能な範囲で」と悪びれもせず口にする。これは特に考察されるべきものではないだろう、単純にアレである。

 

 

 

 

 

堂々巡りのお願い

 

雪ノ下からのお願いで、八幡は由比ヶ浜のお願いを叶えると約束した。そして当の由比ヶ浜のお願いは「八幡のお願いを叶える」だった。

言葉を額面通り受け取るのなら、これは千日手状態になっている。

そも、俺は雪ノ下雪乃の願いを叶えるために、こうしている。

雪ノ下の願いは由比ヶ浜の願いを叶えることだ。だが、その由比ヶ浜は俺の願いを叶えようと言う。これではまわりまわって、堂々巡りでいつまで経っても終わらない。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)52頁より。

 

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由比ヶ浜結衣は確かにまちがえないが、それ以前にこの構図を理解していないなんてことはありえないだろう。つまり、お願いのどこかがまちがっている。

 

まちがっていると考えられるのは、3つのお願いだ。

  1. 比企谷八幡のお願い雪ノ下雪乃のお願い
  2. 雪ノ下雪乃のお願い由比ヶ浜結衣のお願い
  3. 由比ヶ浜結衣のお願い比企谷八幡のお願い

 

どれが本当でどれが嘘かなど全くわからないが、とりあえず妄想の範疇で考察する。

 

まず3. 由比ヶ浜結衣のお願いはまちがっていそうだ。

第一に、彼女が「簡単なことだけお願いしよう」と言ってることより、簡単なこと以外のお願いも存在する。

そして第二に、彼女のお願いはずっと提示され続けてきた。「全部ほしい」が変わらず彼女の最難関の願いだと考えるのが自然だろう。

 

ではお願いが最初から決まっていると仮定して、なぜ彼女はそれを八幡にお願いしないのか。

ここでとある一節に注目したい。

「でしょ?だから考えといてよ。あたしのお願いを叶えてる間に。あたしも考えておくから」

 

(中略)

 

「……それで、ちゃんと言う。……だからちゃんと聞かせて。ヒッキーがどうしたいか」

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』(ガガガ文庫、2019年)52頁より。

 

この言い方は妙に含みがある。八幡は既に「由比ヶ浜のお願いを叶える」と言っているにも関わらず「ちゃんと聞かせて」と問い直している。それにアニメでは声音に戸惑いはあまり感じられない、むしろ「もう決めている」という雰囲気さえ感じられる。或いは、「待っている」と言っているような。

このことより由比ヶ浜は八幡のお願いに懐疑的であるのかもしれない。彼女が正しいのならば、2. 比企谷八幡のお願いもまちがっていると言えるだろう。

 

1. 雪ノ下雪乃のお願いに関しては、どうなのかさっぱりわからない。しかし由比ヶ浜結衣に対する思いとあの涙は、決して嘘から出たものではないと私は思う。

 

 

いずれにしろ、時を待ち何かが風化するのを待つか、再度「お願い」を問い直す必要がある。今後も彼らの「お願い=感情」について注目してく必要がありそうだ。